医師の
紹介
院長・理事長
与那覇 朝樹(よなは ともき)
こんにちは よなは医院院長の与那覇朝樹(よなは ともき)と申します。自分が生まれ育った石垣島で、皆さまの健康にお役に立てれば光栄に思います。
昭和53年開院の当院前身である与那覇医院の頃より、地域のかかりつけ医として内科はもとより、石垣島初の透析センターとして専門的な役割も担って参りました。
私の専門領域である腎臓病、リウマチ、膠原病における更なる研究やスキルアップは当然のことといたしまして、最新・最適な医療についての見識を深め、関連医療機関と連係し皆様が安心して受診していただけますよう日々努めてまいります。よろしくお願いいたします。
医師紹介
Doctors
【経歴】
2002年 川崎医科大学医学部卒業
2002年 中部徳洲会病院
2005年 豊見城中央病院 内科
2009年 虎の門病院 腎センター
2010年 日本赤十字社医療センターリウマチアレルギー科
2011年 豊見城中央病院 腎臓・リウマチ膠原病内科 医長
【資格】
日本内科学会認定 総合内科専門医
日本腎臓学会認定 腎臓専門医
日本透析医学会認定 透析専門医
日本リウマチ学会認定 リウマチ専門医
名誉院長
与那覇 朝弘(よなは ともひろ)
私が東京で透析医療に携わり4年が過ぎたある日、故郷石垣島から手紙が届きました。「先生、石垣島に戻って透析治療をして下さい。月に数回、透析のため本島の那覇にある透析施設に通院することが大変です。お金も身体も力尽きました・・・」と、切実な思いが綴られた透析患者さんの手紙でした。東京に永住すると半ば決めていた私に、郷里への思いを奮い立たせる内容で、それがきっかけとなり私は故郷石垣島に開業しました。
昭和53年(1978)年8月、沖縄で5番目の透析施設として、日本最南端の離島で初めての血液透析がスタートしました。当初、患者1人で始まった透析は月日が経つにつれ患者数は増えていきました。透析医療は、私が38年前石垣島で始めた当時から、かなり進歩し透析寿命は延びました。通常の透析や透析合併症であれば島内で十分完結できる医療体制になっております。
私の半生は透析医療と共にあります。いつの時代も患者第一は変わりません。たくさんの医療スタッフによって、八重山地区の医療がさらに発展することを心から願っております。
【経歴】
昭和45年3月 鹿児島大学医学部卒業
昭和45年4月 沖縄県立中部病院にてハワイ大学卒後医学臨床研修事業団による研修
昭和47年4月 沖縄県立中部病院外科勤務
昭和47年11月 沖縄県立八重山病院(外科医長)
昭和48年11月 医療法人田島厚生会神谷病院
昭和49年4月 社団法人大坪会 三軒茶屋病院
昭和49年10月 分院 北多摩病院(院長)
昭和53年8月 石垣島に「与那覇医院」開設
平成 4年 八重山地区第12代医師会会長
平成 6年 第13回沖縄県人工透析研究会会長
平成24年 医療法人 ゆいま-る よなは医院設立